心の贅肉

ダイエットしてる人で、ある程度効果が出始めた人ほど周りに「何kgも痩せたんだよ、すごいだろ」アピールをしてくるし、(特に女性に多いが)ダイエットに興味がある人は一様に「すごい」「どうやったの?」と訊いたりするが、本当にすごいのはそもそもダイエットをする必要がなく、健康的な体を保っている人だと思うのだが、と何となくもやもや。
どうも、不良がちょっと良いことをしたら褒められる感覚に近いものを感じるからだろうか。
それと、体質的なものや病気を除いて、太ったのは太ったなりの理由があり、大抵は不摂生という本人に原因があるものなのに、痩せる努力をしてるのはすごいだろという話の持っていき方をするのも納得がいかない。
そして、時々「痩せてて良いよね」なんて言うが、体型を維持する努力をしてることを知らないのだろうか?あぁ、僻んでるだけか。

それが仕事

「喉元過ぎれば熱さ忘れる」の反対とは違うのだが、実際に自分が当事者になったりその場に立たないと考えられない人がいて困る。
以前から先を見据えてこのプランで進めようという話をしていたのに、その時はあれこれと理由を付けて行動に移さずに、いざその局面に向かい合ったら周りが動かないから進められないと文句を言いつつ、当初のプランに沿う形で話をまとめようとする。
自分の面倒になることには消極的な割に、他人には面倒事を任せようとする。同じプランであっても、自分がイニシアティブを取らないと気が済まないのだろうか。
久々に苛々が止まらない今日この頃。

遠吠える

ある人が退職するにあたり全社宛てに退職メールを送ったのだが、その中身が凄まじい。
如何にこの会社がダメであるか。主にマネジメント層がダメなところについて。そして、その改善策についてをびっしりと長文で綴っている。
そもそも、彼が入社する際に呼んでくれた役員が辞めて別の会社へ移ったから彼自身も辞めるという経緯なのだが、僕や周りからすれば彼が行ったマネジメント層への批判は、その辞めた役員のことを指しているようにしか思えない。彼からすれば違うのだろうが、周りはそうは思っていないところが実に微笑ましい。
そして、メールの最後は、こんな会社の中でも何名かはきちんとした志を持って仕事をしている人がいたので、その人とならばまた仕事をしてもいいですよという文面で締め括っている。
え?何で貴方が選ぶ立場にいるの?というところがまた面白い。いや、そもそもそこまで思っていたならばきちんと伝えるなりすれば良いのに、それすらもせずに最後の最後に言い逃げる姿勢がとても小者感満載でかわいらしい。
全く仕事で絡んだことがなかったので、そんな人とは知らなかったが、素敵な観察対象がいなくなってしまったことが残念で仕方ない…と思うことはなく、怪しい人がいなくなってくれて少しだけ安心している今日この頃。

筋道

さて、会社や仕事の話ばかりが続いてしまうが、どうしても日常生活の中でそれが占めるウェイトが重くなっているので、仕方ないと言えば仕方ないことか。
できれば面と向かって言ってほしいのだが、それもなかなか難しいようで陰で何かを言う人がいる。陰でとは言っても、僕が近くにいて聞こえていることを承知で話しているから、余計に質が悪いのだが、それはまぁ置いといて。問題はその中身。
「もっとこうすればいいのに」「何でこうしないんだろう」といったことを言うが、僕からすればそんなことは充分承知で、それらの可能性も妥当性も全て考慮した上で判断した結論。もちろん、持ってる情報が違うという点も間々あるから仕方ないとは言え、こちらは思い付きなどではなく、熟考した上で出しているということに思い至らないんだよなぁ。その道もとっくに通ってきた道なんだけども、きっと分からないんだろう。
それとも、裏を返せば、僕がそれしきのことすら思い至ってないと思ってるのだろうか。それだったら情けないな。他のことも含めて、今まで話してきたことについても大して届いてなかったってことになっちゃうもんな。